「 『南方週末』事件、習近平体制の揺らぎ 」
『週刊新潮』 2013年1月24日号
日本ルネッサンス 第542回
中国広東省で起きた週刊紙『南方週末』の1月3日号社説が同省共産党宣伝部によって差し替えられた事件は、発覚以来約2週間が過ぎてもくすぶり続けている。
当局の圧力に対して編集部がストライキを打とうとする中、10日号の発行に漕ぎつけたことで一応の収束が図られたといえるが、問題がおさまったわけではない。まず事の顛末を振り返ってみる。
1月3日号に南方週末は「憲法に基づく政治を実現し、自由・民権擁護の国家を建設する夢」を提唱する社説を掲げようとした。これは言論の自由も思想の自由も許容せず、中国共産党こそ「イデオロギー工作の主導権を握らなければならない」と謳い上げる習近平体制の考え方に真っ向から挑戦するものだ。
広東省の共産党宣伝部がこの社説を問題視し、「中華民族の偉大な復興を実現する夢」を謳い上げる内容へと書き替えさせた。「中華民族の復興」は習近平氏得意の表現で、21世紀の中華思想鼓舞の価値観だ。
社説差し替えが公になった4日、中国外務省の華春瑩(ホアチュンイン)副報道局長は「中国にいわゆる検閲制度は存在せず、報道の自由は保障されている」と臆面もなく断言した。
6日夜、南方週末の上層部は社説差し替えで介入したとされた庹震(トゥオ ジェン)広東省党委員会宣伝部長には責任はないという声明を発表した。記者らは強く反発し抗議のストライキに入ることを決定、100人近くが署名した。
こうした状況に、国内の弁護士グループが編集部関係者が不利な扱いを受けた場合、無償で弁護を引き受けると発表した。北京大学や清華大学などの教授や副教授ら27名が、社説差し替えを行った庹震共産党宣伝部長の罷免を求めた。
Xデーへの第一歩
7日、中国共産党機関紙「人民日報」傘下の「環球時報」が「公然と対抗すれば必ず敗者になる」という社説を掲載し、恫喝した。
9日、南方週末の姉妹紙、北京の「新京報」の社長が環球時報の威圧的な社説の転載を命じられて抗議の辞任を表明した。ところが、同日、南方週末幹部はストライキを収拾し、新年第2号を発表すると告げ、10日、第2号は発刊されたのだ。
表面的な問題解決は実現したが、明らかに火種は残っている。元々南方週末は中国で置き去りにされてきた政治改革を唱える論調で強い支持を受けている。彼らの闘いぶりの烈しさは、09年11月18日のオバマ米国大統領への単独インタビュー記事の例にも見てとれるだろう。
中国問題専門家の富坂聰氏が語る。
「南方週末はオバマ大統領を単独取材し、大統領は報道の自由を讃える直筆のメッセージを南方週末に贈りました。しかし、大統領とメッセージの写真を、取材翌日の11月19日、記事と一緒に1面に掲載しようとした南方週末に対して当局が徹底介入したのです。結果として小さな記事だけが2面に載りましたが、1面全てと2面の大部分を南方週末は白紙で発行しました。絶対に屈しないという強い意志の表れです。宣伝部は編集長を『通常の人事異動』の名目で追放しました」
南方週末に対して広東省共産党宣伝部がどれほど神経を尖らせているかは、彼らが南方週末の編集内容を不満とし、昨年1年間で今回の件を除いて実に1,034件もの介入を行っていたことからも見てとれる。単純計算すれば52週分の発行で毎回20ヵ所の書き替えや削除を強制したことになる。
香港中文大学及び日本の国際大学(秋田)で中国政治を教えるウィリー・ラム教授は南方週末社説書き替え事件についてこう語った。
「これまで共産党宣伝部が書き替えを強要した事件は殆んどが当のメディア単体による抗議で終わっていましたが、今回は抗議の主体が驚くほど広がっています。編集部に加えて、有名大学教授や弁護士グループ、はては農民にまで支持が広がったのは初めての現象です」
ラム教授の指摘するように、弁護士や大学教授だけでなく農民も南方週末を支持する行動に出た。12日、広東省広州市の隣にある仏山市の農民約20人が南方週末応援に駆けつけ警察に連行された。14日の「朝日新聞」は朝刊で、南方週末系列の「南方都市報」が農民たちの土地を村政府が不条理にも強制的に収用した問題を詳しく報じたことから、農民も言論と報道の自由の大事さを身を以て知るに至ったと報じた。
このように、今回南方週末が幅広い分野の人々の支持を集めたのは、民主化を求める声がより成熟した形で中国社会の各層に浸透しつつあることを示している。共産党がどのような手を使ってもこうした国民の不満を抑え続けることは出来ないだろう。民衆が立ち上がり、共産党への批判がコントロール不可能な状況に盛り上がり、共産党一党支配に終止符が打たれる日、Xデーへの第一歩がいま踏み出されているのではないか。
文言だけの民主主義
民主化を求める人々はより賢い手法を駆使してより幅広く、より深く、中国社会を動かしつつある。ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏らが大胆な政治改革を求める「08憲章」を発表したのが2008年だった。劉氏はいまだに国家政権転覆扇動罪で収監され、妻は自宅に軟禁されたままである。
中国の内外で劉氏らへの支持が揺らがないなか、昨年末、約70人の知識人グループが立ち上がった。第18回共産党大会で胡錦濤氏から習近平氏へと政権受け渡しが正式に演出されたその矢先に、新たな知識人グループの抗議が突きつけられたのである。富坂氏が指摘した。
「大学教授や弁護士らがネットを介して『民主主義を求める連盟書』を発表したのです。70人の顔触れは過激な運動家たちとは一味違う人々でした。彼らが主張すればその意見が自ずと主潮流になりそうな人々が名を連ねていました。彼らは決してラディカルな要求はしていません。中国の憲法に謳われている価値観を実現して下さいという論法で、『連盟書』が掲げた具体策は、たとえば汚職の撲滅や職権濫用の取り締まりの強化など、わかり易い内容でした。万人に支持される事柄であり、中国共産党は彼らの主張を否定する理由が見当たらないところに追い込まれました。共産党の権威は失墜し、その力も陰りを見せ始めたといってよいと思います」
ちなみに中国の憲法には民主主義の尊重は無論、言論、信教の自由をはじめあらゆる自由の尊重や弱者擁護、環境への配慮なども書かれている。文言だけの民主主義の下で進行する共産党一党独裁の専横を広範な国民が知ったいま、中国共産党支配体制は確実に揺らぎ始めている。